自分が常識だと思っていても、相手にとっては非常識なんですよ。

発想〈Idea〉

人は価値観の違う生き物だと思う。共感出来ることはあると思うが、あくまで部分的に共感をしているだけ。全く同じ人間はいないってことです。

全く違う人間通しが同じ空間で例えば働かなければならないとすると、意見が食い違うのは当たり前ですよね。

共存するってことは相手への妥協をしなければならないのだろう。人間関係の形成って簡単にはいかないですよね。

 

当たり前は当たり前じゃない。

今まで生きてきた道は人によって全然違う道を通っている。同じ道に差し掛かることがあるとは思うがやっぱり違う道を通ることになる。

 

自分が当たり前って思っていても、他人にとっては当たり前じゃないのです!!

 

例えば、会社から与えられているデスクですが整理整頓が出来ている人もいれば散らかっている人もいるでしょう。もし、散らかっている人に対して片付けを要求しても相手に「全然片付いている!!」と言われたらどうします??

ちゃんとした理由があったら怒れないでしょうね。

一見散らかっているように見えても、本人にとって最高に効率の良い配置に物を置いている可能性があるからです。

これが価値観の違いです!!

 

正当な理由がある相手に対して自分の価値観を押し付けるのは相手に悪いですよね。

 

妥協案はお互い納得がいかない。

自分の考えと相手の考えはお互いの主張はあって当然。しかし、1つのコミュニティの中に在籍しているのであれば統一性を維持しなければならなくなるのです。

自分も同じ意見なので相手の意見に賛同するならば良いでしょう。食い違った意見に対してはお互いの主張を尊重しつつ意見をまとめなきゃならない。

じゃあ、どうする??

 

一番やってはいけないのが、中間的な意見にまとめることです。お互いの良い部分を合わせた案は、お互い納得がいかないのです。

なぜならそれはお互いの妥協案だから!!

 

難しいです。意見を求めれば求めるほどファシリテーターを苦しめるのです。

 

まとめ

価値観の違いを埋めることは難しいでしょう。しかし、同じコミュニティの中にいるのであれば妥協することも必要だろう。もし自分の意見が通らず相手の意見に対して賛同出来なければ、その場を去るという選択をせざるを得ない。

でも、ぶつかっても何も良いことはありません。

 

中間的な意見にするのはお互いを滅ぼす。お互いが妥協をしているのだから。

慌てて決めなくても良いのであれば決める必要がない。互いの関係性を崩してからでは遅いのだから。

でも、僕は最近になって思う。

昔の常識は、今では非常識!!

 

自分の価値観だけを訴えても全然響かない。友達だって親子だって兄弟だって、自分以外は他人なのだから。

他人に自分の価値観だけを押し付けてはならない。

 

同じ人間だとしても、違う価値観しか持っていないのだから。

 

でも共存策は考えたいですよね。

 

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