今の自分があるのは、パワハラ寸前の指導があったからなんです。

発想〈Idea〉

厳しく指導してくれた方々に感謝!!

 

過去の栄光って忘れられないですよね?
だって自分が輝いていた記憶ですからね。

過去の栄光って自慢したくなりませんか?
自分を大きく見せたいから、ついつい過大表現にもなりますよね。

過去にとらわれているとなかなか前に進めなくなり、新しいことにトライすることが難しくなっていきます。

昔なら出来ていたことが今になったら全然出来ない。

そんなのあたりまえです!!
時代が違うのだから。

 

自分の過去には厳しくしてくれた人がいっぱい。

私は昭和56年生まれの37歳です。

今でこそハラスメントって言葉をよく耳にしますが、昔って無かったと思う。
でもハラスメントとして該当することは今の現代よりもたくさんあったと感じます。

 

厳しかった父

 

父親が厳しかったもので、父に反発するなんてことは考えたことがなかったし、父の絶対権力で家庭が動いていました。その影響なのか私には反抗期ってなかったと思う。

小学生の頃にやりたいスポーツがあったけど、父の影響で違うスポーツに打ち込むことになった。アイスホッケーがしたいのにスピードスケート少年団にぶち込まれたし、Jリーグブームの時にサッカーがしたかったが朝から晩まで野球漬けの日々を送っていた。

中学生の頃も、小学生からやっていたスピードスケートを続けたかったのだが許されず野球部へ所属することにもなりました。

これって嫌なことを強要させられて自由を奪われてる現代なら完全なパワハラですよね?
しかし絶対的権力を持つ父には反抗出来なかったし、別に当時はパワハラだとは思ってもいなかった。

でも今では野球をやってて良かったと思ってますよ(^^)

 

厳しかった教師

今は教師による指導を虐待とか騒ぐこともありますが、私は我が子がもし悪い事をしたのであれば厳しく指導してもらっても構わないと思っている。

当時は悪い事をしたら、教室の後ろや廊下に立たされたこともありました。怒鳴られたこともたくさんありました。場合によっては叩かれたことだってありました。

けど私はずるいかもしれないが学校で教師に怒られたり叩かれたりしても絶対に親には言いませんでした。だって先生にも怒られるし、親にまで怒られるでしょ。

今思うと親よりも教師に叩かれる回数の方が多かったかもしれません。しかしそれは愛のムチだと思っていますよ。

横道にそれたら真っすぐ歩めるように正す。あたりまえですよね。
だから今の自分があると感じます。

 

厳しかった先輩

 

スポーツをやっていた時もそうだし、社会に出てからもそうでした。

絶対的ポジションの先輩がいる。

先輩に反することは許されなかったし、違うと感じてもYESと言うしか選択肢がなかった。

でもその上下関係も苦じゃなかった。
きっと先輩への信頼関係があったから従えたのだと思う。

そして当時は教えてくれることは少なかった。けど色んな所にはたくさん連れて行ってくれた。

「黙って着いて来い!!マニュアルより勉強になるから。」と言われ
「でもその後は自分で考えて行動をしてみろよ!!」って言ってくれた先輩もいました。

先輩は私の前に立って、ほめられる姿や怒られる姿や努力する姿など上司としての背中を見せてくれました。だって言葉なんてないんですから。

 

まとめ

現代では、父親の威厳や教師の立場や先輩との上下関係が薄れてきている気がする。

父親は子供のために厳しく教育していくべきだし、教師は生徒の父母や教育委員会にビクビクしないで厳しく指導してほしいし、先輩や上司も次世代を担う若者達に向けて背中で牽引していき厳しく成長させる工夫をしていくべきだと思ってます。

果たして自分が出来ているかと言われたらまだまだ不十分ではあるが、今後の課題として立ち向かうところであります。

 

若者達だってそうだ。

今までぬるま湯に浸かり過ぎなんだよ!!パワハラだとか○○ハラとか言う前に自分は全力で立ち向かっていったのか考えた方がいい。法律に甘えるな!!

 

昔のようなギラギラした目をした人の多かった義理や人情に熱かった社会を取り戻そうぜ!!

そして現代のハラスメントと戦おう!!

社会ってそういう場所じゃなかったかな??

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